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四條流の流れ


清和天皇貞観(八五九~八七六)年中、宮中における諸儀式の作法が定められた饗
応饗膳の式作法とともに供食作法のひとつとして庖丁儀式も定められました。庖丁
人の祖神、藤原山陰卿は、天安二年(八五八年)十一月従五位蔵人に授けられ、四
條の名を賜る四條山陰備前守を名乗ります。宮中にては諸儀式の要職を司ることに
なります。光孝天皇の御代仁和二年(八八六年)には、天皇が行幸されたおりに山
陰卿が御供をされました。このとき卿が鯉を庖丁したことから庖丁の儀式の切り方
がはじまったとされております。同三年(八八七年)五月十一日、中納言従三位藤
原朝臣山陰兼為民部卿となり、翌四年二月四日に御他界されたこの卿の教え子、学
び伝える者が四條流庖丁人とされ、多くの傑出した庖丁人輩出しました。代々御所
の料理を伝えて天皇に仕えた高橋朝臣の流れに対して、四條流の料理法は臣下の伝
えるところとなり、江戸時代には徳川将軍家の料理番となって隆盛を見、現在に至
っております。
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