Copyright(c) 2009 SEIWA SHIJYORYU SEIWAKAI All Rights Reserved.
img
トップページ
式包丁の由来
式包丁の由来
四條流の流れ
庖丁のこと
爼のこと
行事予定
清和四條流会員紹介
賛助会
会員登録
清和四條流ブログ
お問合せ
イベント

清和四條流 式庖丁の由来


庖丁道の故事はいろいろと伝えられておりますが古くから宮中で正月を祝っておこなわれた儀式のひとつとされております。この儀式の様式は、鎌倉時代以降はさまざまに絵画や文字の上にその姿をとどめております。一般に調理人があらわれるのは室町時代からで、料理の流儀もこのころから始まったとされています。江戸時代から式庖丁は料理人の表芸となり、宮中においては1月19日、幕府では1月12日に、それぞれ天皇、将軍家の御前で厳粛に庖丁をするのが恒例の行事とされるようになりました。式庖丁にもさまざまな諸派、流儀が存じておりますが、清和四條流の祖は、新宮家初代、旧名源義盛新宮十郎であります。
義盛は清和源氏六条判官為義の十男に生まれ、幼少のころより熊野新宮別当のもとにあって源義盛の名を改め、新宮十郎と名乗りました。寿永2年(1183年)に入京し、従五位蔵人備前守に任じられ、八条院蔵人新宮備前守行家と名乗る新宮別当のもと諸事式作法を勉学、宮中にて諸式作法の要職を司るようになりました。新宮家代々義房より行継まで11代165年間従五位蔵人となり、初代行家の要職を継ぐことになります。
33代新宮章行 34代刀根盛治 現在、当家35代清本健盛を家元として一門に伝承されております。
四條流の伝統的な切り型には魚介類や鳥類、農産物など約50余種ありますが、奉納される御供物にはいっさい手を触れることなく、箸と庖丁を巧みに使い、切りあげ、盛り上げます。